心臓のこと忘れてた

2018年26歳のときに心室頻拍発生。カテーテルアブレーションでの根治を目指しつつ、ICD植込みを検討中。同じくVT患者さま、ICD植込みされた(しなかった)方は、良ければご連絡ください:texas.horsuke@gmail.com

自己紹介

1992年生まれの26歳。昨年末に心室頻拍(VT)を起こし、緊急入院。現在はカテーテルアブレーションでの根治を目指しつつ、ICDの植込みも検討している状況です。

もともと僕は生まれつきの心疾患を持っていました。病名は、両大血管右室起始症。普通、正常な心臓は大動脈は左室から、肺動脈は右室からそれぞれ起始しているものなのですが、この両大血管右室起始症の人は、その名の通りどちらの血管も右室から起始しています。いわゆる心奇形の一種です。症状としては、血流が悪いことによるチアノーゼが代表的だそうで、手術せずに放置しておくと心不全などを誘発する可能性もあるといいます。

ただ、僕は4歳のときに根治手術を受けており、その後の経過も非常に良好ということでしたので、あまり自身の病気のことを意識していませんでした。強いて言えば、「激しい運動=長距離走、潜水」は禁止されてたので、小中学生の体育の時間は、何か仲間はずれにされたような居心地の悪さを感じたこともありました。しかし、それも高校大学社会人と大人になると、そもそも長距離走をする機会自体がなくなっていきますから、ますます病気のことなど思い出さなくなりました。唯一、思い出すのは年に一度の主治医のフォローアップ時のみ。そのときですら、いつも血液検査/心電図と、数年に一度のエコーという感じで、診察は「変わりないですね」と10分ほどで終了する程度のものでした。

そのため、昨年末の心室頻拍からの緊急入院は僕にとってあまりに突然の出来事でした。しかも、よくよく話を聞いていくと、おそらく両大血管右室起始症の手術時の瘢痕により、不整脈の回路が出来てしまったことが原因だというじゃないですか。20年越しに手術の影響が出るなんてことあるの!?と、かなり驚き、狼狽しました。

これまで僕にとっての病気とは、白黒で明確に分けられるものでした。治っているか、治っていないか。もし病気になれば、一刻も早く根治治療を実施し、速やかに健康体に戻っていく。そんなイメージでした。しかし、今回のことをきっかけに、病気とは、身体とは、そんなに簡単に割り切れるようなものではなく、一生付き合っていくものである、と認識を新たにしました。冷静に考えれば、何か手術をしたのであれば、手術をしたなりの傷を心臓は負っているわけですから当たり前ですよね。

また、入院中の暇な時間にさまざまなご病気の方のブログを拝読しましたが、そもそも根治術がなく、対症療法しか存在しない病気も多数あるということを知り、自分の浅はかを痛感するとともに、自分の病気と向き合う多くの人に大変勇気づけられました。

このブログでは自分の身体のことを整理するメモ帳として使いつつ、もし可能でしたらほかの「病と付き合う人」と交流を持てたらと思い、立ち上げました。よろしくお願いいたします。