心臓のこと忘れてた

2018年26歳のときに心室頻拍発生。カテーテルアブレーションでの根治を目指しつつ、ICD植込みを検討中。同じくVT患者さま、ICD植込みされた(しなかった)方は、良ければご連絡ください:texas.horsuke@gmail.com

道なき道を行くしかないらしい

今回の致死性不整脈発生をきっかけに、僕は初めて自分の先天性心疾患と向き合うことになった。

少なくとも、この数年は病気のことなど全く思い出すことなく生活しており、お酒も煙草も徹夜もがんがんして、身体を気遣うという発想自体なかった。そんな自分が、一発(正確には三発)の不整脈により、一気に「重度の病人」としての扱いを受けるようになる。

こいつは、受け入れられるわけがない! 医師からは次から次に治療の話をされて、頭が追いつかず判断に悩み、再度医師に説明を求めても、あくまで確率論しか教えてくれない(そういうもんなんだろうね)。「そういうんじゃなくて、もっと生きた情報をくれよ!」と看護師さんに迫っても、「ほかの患者さんの個人情報は…」とお茶を濁される(そういうもんなんだろうね)。

親にも友人にも泣き言を言えず、毎日1人病室で泣いていた。泣きながら、必死に類似の病気を持つ患者さんの情報を集め、医師の言っていることが真実なのか、自分で医学書を読み込んだ。そうこうするうちに時は経ち、次第に自分の身体のことを受け入れられるようになった。むしろ、不整脈発作のときに死ななくて良かったと思えるようになった。時間は偉大だ。

しかし、今がまさにそうなんだけど、ふとした瞬間に強烈に嫌気が差し、インターネットの闇を当てどもなくさまよってしまう。これから自分はどうなるのか、その正解を求めて。そんなことしても、不安が大きくなるだけなのに。

もちろん、インターネット上で、ほかの患者さんの状況を知ることは、元気をもらうことの方が圧倒的に多い。当たり前だ。でも、今みたいな気持ちのときは、すっかり駄目だ。

同じ病気で50歳までピンピンしている人を見つけては、「なぜ、自分はそちら側に立てなかったのだろう」と落ち込み、同じ病気で20歳のときには大きな再手術をし、30代以降は下り坂を下るように悪くなってしまった人を見つけては、未来に絶望し、暗澹たる気持ちにさいなまれる。

率直に言って、未来が描けないってことは、何よりも辛く苦しいことだ。やりたかった仕事で責任ある立場を任されるようになり、これからもっともっと自分の行動範囲を広げようとしている矢先だった。それなのに、もしかしたら、もうかつての未来予想図は実現できないかもしれない。こんな状況で、どうやったら前が向ける?

とまあ、悲観的になりきってくると逆に浮上してくる性質があり。

そもそもの話、先天性心疾患(すべての病気がそうかもしれないけど)ってのは、人により症状は千差万別だ。たとえ同じ病名でも、経過は人により本当にさまざま。どうしても弱っていると自分の行く末(未来)を他人から見つけようと思ってしまいがちだけど、どういう経過を辿るか、そしてその経過に対してどういうアクションを取るかは、もう超千差万別なわけで、何が言いたいかっていうと、人から過度に影響を受けるべきじゃないんだと思う(ポジティブな影響はいいけども)。

けっきょくのところ、今は目の前の治療に専念するしかないわけで、その後はやれることから始めていけばいいし、もし今後やりたいことがやりにくくなるような事態が起きてくるのであれば、やり方を変えてみればいい。幸いにも、仕事仲間には恵まれてるわけだし、なんなら一緒に考えてもらえばいい。

というわけで、オラはオラの道を行くしかない。道なき道をゆこう。まったく、こんな当たり前の結論を出すのに3ヶ月かかったぜ。

※次回はセカンドオピニオンのこと振り返り、書きます(笑)。時間軸が揃っておらず、申し訳ないです。